平成30年2月3日(土)と4日(日)に
くしろ冬まつり2018会場にて
北方領土返還要求署名運動に参加して参りました。
署名を行っていると様々な方にお目にかかります。
「いいですよ」と快く署名くださる方もあれば、
「そういうのいいわ」と首を横に振る方・・・
署名は個人の意思。多様な考えがあるのは当然です。
そもそも、なぜ署名を書かなくてはならないのでしょうか。
それは、かつて日本人が住み暮らしていた島々が、
再び日本の島として平穏に住み暮らせる日が来るよう
「返還要求の声」として国会に届ける事で、
返還実現の後押しをする必要があるから、なのです。
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事は昭和20年(1945年)8月18日
太平洋戦争終結の機となったポツダム宣言の受諾公表後。
(戦艦ミズーリで行われたポツダム宣言調印式の様子 出典1)
相互不可侵の日ソ中立条約を一方的に破棄して
既に満州にて対日参戦を開始していたソ連は、
宣言を無視して千島列島の占領作戦を実行。
カムチャツカ半島を出港したソ連軍は
17日の深夜から18日未明に掛けて、
千島列島北端の占守島(しゅむしゅとう)に於いて
武装解除していた日本軍に対して奇襲攻撃を仕掛けたのです。
(占守島の位置 出典2)
沖縄に次ぐ地上戦となった占守島では、
北海道の第五方面軍司令官樋口季一郎中将から発せられた
ソ連軍撃滅の下命により、日本軍はすぐさまこれに応戦。
犠牲者を出しながらも戦況優位に進めていました。
しかし、樋口季一郎中将から今度は、
戦闘停止・自衛戦闘移行の下命があり停戦。
幾度か応戦するも徐々に後退・武装解除を余儀無くされました。
その後ソ連軍は千島列島を南下して島々を占領。
歯舞群島占領の9月5日までに千島列島の全てを占領しました。
(占守島に残された日本の戦車 出典3)
ソ連はスターリンの下命により北海道本土との交通を遮断。
帰る事が出来なくなった日本人捕虜はシベリアに抑留されて
僅かな食料と睡眠時間で過酷な労働を強いられた結果、
多くの尊い命が犠牲になったのでした。
全ての島民が島から追放された1948年から数えて、
今年で70年が経過します。
一日でも早く、
返還要求署名を書く必要の無い日が来る事を
願って止みません。
(納沙布岬モニュメント「四島のかけ橋」 出典4)
皆様も2月7日「北方領土の日」の今日に
領土問題について考えてみてはいかがでしょうか。
※北方領土やその問題についてはこちら(外務省)
※占守島の戦いについてはこちら(Wikipedia)
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そして来る 3月1日(木)18:30〜20:30
ANAクラウンプラザホテル釧路にて
北方領土問題啓発事業が行われます。
今一度、元島民の方の“生の声”に耳を傾ける事で
四島(しま)が帰るその日まで先達の想いを後世に語り継ぐ。
そんな機会に、ぜひ・・・してください。
出典1 https://2b2gdzjtaey3o01p41qinbri-wpengine.netdna-ssl.com/wp-content/uploads/japan-surrender-700x475.jpg
出典2 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kuriles_Shumshu.PNG
出典3 http://ironna.jp/article/2414
出典4 https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/94/68/650x_10946864.jpg?updated_at=1415369328